囲碁を楽しむために必要なマナーについてです。

将碁友の会

囲碁のマナーについて

将碁友の会では伝統的な囲碁のマナーを守り、みなさまに楽しく対局していただきたいと思っています。

投了のタイミング

囲碁の対局

対局をしていると、大差なのに相手がなかなか投了しなくてイライラしたという経験があるかもしれません。
投了のタイミングにもマナーがあります。ここで、慣習的なマナーを説明します。

形勢大差のときは潔く投了する

  • 逆転不能の碁は潔く投了しよう。
  • 本人は棋力相応に形勢を判断するよう努める責任がある。
  • まだ勝負手が残っている限り大差が確定したわけではない。堂々と勝負手を打ち、逆転しよう。勝負手が失敗に終わったら投了しよう。

ダメ詰めを始めたら投了せずに地を数える

  • ヨセが済み、手残りを無くし、ダメ詰めを始めたら、もう投了はせずに地を数えること。
  • 地を数えて思わぬ大差であれば形勢判断の不明を詫びること。

相手の形勢判断に口を出さない

  • 形勢大差の判断は自分ですることで相手が言うことではない。投了を促すことなど許されない。
  • 特に級位者には20目程度の差は大目に見よう。

将碁友の会では、「 相手には寛大に 自分にはきびしく 」 楽しい対局場でありたいと思います。

投了についての考え方

投了に関する以下のような意見はどうでしょうか?

勝負事だから打てるところがある限り、最後までガンバルのは当然のこと。9回裏2アウトからの逆転だってあるではないか。

なにか手はないかとマギレを求めて打ち続けると状況が変わり手が生ずることもある。このネバリこそ囲碁の楽しさであり、棋力向上にもつながる。

これに関して、さまざなご意見が寄せられましたのでご紹介します。


勝負事であっても他のスポーツとは異なり、囲碁は対戦に際しては常に相手に「謝意と敬意」を表すことをマナーとする知的ゲームです。
投了のタイミングは 棋力、盤面の状況判断、また熱中のあまりうっかりタイミングを失することもありますので、相手の人も「謝意と敬意」をもって状況を寛容する懐の深さを持って欲しいものです

個人的には、相手が、どのような方策で来ても、容認したいです。私は、あまり、みっともない碁は、打ちたくないです。棋譜が残るし、第一、碁は勝てばよいと言うものでもないでしょう。
囲碁に限らず、人生、何事も、勉強です。これらの意見は反対はしませんが、高段になれば、悟られる事でしょう。
私は若いころから、碁席に通いましたが、色々なタイプの方がおり、やはり、気持ち良く対局出来た方は思い出に残っております。

大差でもミスを期待して打ち続ける人がいますが、やむを得ないでしょう。うんざりしながら、ダメを詰めていて(ウッテガエシ)、(アタリ)に気づかないで負けたことが何回もありますが、自分の注意力散漫と反省しています。
相手を暖かく見守りましょう。
私は形勢判断で 10目以上差があり、手段の余地がないと思ったときは投了しています。計算違いをして、10目以上の差の碁を作ったときは相手に対して申し訳ないと思い、盤に向かって深くお詫びしています。

大差の場合、投了するのが常識です。「最後までがんばる」とか「マギレを求める」とかは、全く駄目な碁を打ち続ける口実でしかありません。何故なら有段者レベルなら相手が凡ミスでもしない限り、手にならない事は分かっている(分かっていないとなれば初級者レベルですから話は別)のですから、ミスだけによる勝機を狙って打ち続ける事になり、情けないですね。真っ当な打ち方ではありません。時間のムダです。大差の碁をダメづめ直前になってから投了する人もいますが呆れます。(碁会所では、大差の碁を打ち続けると、相手になる人がいなくなります。)

囲碁の格言に『投げも芸のうち』という言葉があります。囲碁は格闘技と同様に1対1で勝ち負けを争うゲームです。自分の持てる力を十分に出して戦い、決着がつけば卑怯なことや見苦しいことはせず、潔く負けを認めて投了をする。これが武士道の精神にもつながる日本の棋道だと思います。勝てば何をしてもよいと言う考えでは囲碁という文化は単なるゲームだけとなり、この後廃れてしまうでしょう。子供たちも参加して同じ土俵で戦っています。大人としてお手本をみせて欲しいと思います。

囲碁に対しての考え方に尽きると思います。即ち文化として接するか単なる勝ち負けを楽しむゲームとして接するかです。文化として接すれば勝ち負けより礼節が優先され恥ずかしい着手は出来なくなると考えます。ゲームとして接する人は何でもいいから勝てば楽しいのでしょう。私が出入りしていた碁会所ではあまりひどい人は出入り禁止にしていました。
マギレを求めるという中には相手のミスを待つということが多分に含まれます。囲碁も将棋もプロ同士においてもミスした方が負けるわけですからそれはそれである意味仕方のないことです。ただ棋力の向上につながるというのは間違いです。というのは知らず知らずに相手のミスを期待するという打ち方に染まっていくからです。棋力向上にというならば対局棋譜を並べ直して研究すればよいのです。

投了という行為は、棋力相応にしか出来ない素晴らしい行為で、自然に出来るようになると、棋力が充実してきた証拠でもありましょう。
かつて、私は投了を促したことがあって、大いに反省した結果、二度とそういうことはしないと、決心しています。
たとえ、強い方でも投了しないのは、それだけの意味がある。自分もしっかり最後まで打ち切る!そのような心構えであるべき、と思います。

初心者がなかなか投了しないなら仕方ないと思います。
問題は中、上級者の場合です。状況と時間を判断して、潔く投了するのは碁を打つ人の常識です。お互い相手の力は認識できているのですから、これから終局まで打っても無駄だと判断できるはずです。

投了してくれなくても、当たり前と思います。文句をいう人に限って投了しない人が多いです。最後まで打ちたいのなら打つのは自由です。
私も、投げられないので、強くなれないと、師匠に怒られますが、かなり、ダメになってからしか、投げられません。最後の頑張りで、ひっくり返した時には、又、悪い癖がついて、強くなれないらしいです。
だから、投げて欲しい人は、何十目も勝ってください。と、思います。

自分自身も、何と目算の甘いことかと汗顔して終局すること多々。また、一方では 目算上々で半目差まで確実という時もあります。むしろ 1目、2目、半目でも負けは負け、見通した時点で投了すべきではと ひそかに悩みます。
手があるところないところも、自明とする人もいれば 打ってみなければという人もおり、その過程で誤って逆転、それがけしからんはないでしょう。
きちんと打ち切る、この心がけ それに尽きるのではないかと考えます。なんといっても 千差万別の他人あっての対局なのですから。

「形勢が大差である」とか「逆転の可能性が無い」とかは棋力の下の人にはなかなかわからないものです。 また、「潔く投了する」とか「最後までがんばる」とかはそれぞれの人の打ち方なので、相手の方は受け入れるべきと思います。 棋力が下の相手が投了が遅いといって文句を言う人は自分だって初級の時はそうだった事を思い出すべきです。もちろん時間切れを狙うなどは論外です。

囲碁も将棋も勝負事であると同時に一つの作品であると思っております。勿論勝とうと思って頑張っておりますが。それ以上に勝ち方負け方に良い作品になる相手がと思っております。よってタイミングよく気持ちよい投了にしたいと思っておりますが。時々後悔しています。

投了の時期についての考え方は種々あると考えますが、高段者ほど、「もう手の打ち様が無い。」と決断できるものだと思います。小生クラスは、本当に最後の最後まで頑張って、やっぱり駄目だったかと諦めるのです。大差であればあるほど、いろいろ考え何か探してしまいます。良いことかどうかは別として、投了の時期の判断は、投了する側に有るものと考えています。したがって、投了ありきの前に、快くあいてが決断できるまでお付き合いする心構えを養いたいと考えています。

形勢は大差、手段を尽くしても挽回不能と思えば潔く投了する。という姿勢が好きです。
ただ、小学生の娘は以前、序盤で見落としによって大石をとられたりすると、まだまだ挽回の余地があるのに「投了」してしまうことがありました。
ご提示の例とは逆に「早く投了しすぎる例」なのですが、このような戦い方は「投げやりすぎる」ので、もう少し粘り強く戦うよう、親として意見しました。
この例から翻って「諦めずに形勢逆転を狙って粘り強く打つ」ほうについて考えてみますと、やはり「相手がほぼ正しく打っても逆転の余地がある」時期に粘るのが棋力向上につながるのであって、「相手の凡ミスを期待して粘る」というのは、勝負の世界としては一理アリかもしれませんが、必ずしも棋力向上につながるとは言い難い、と私は感じます。

級位者は、負けがどういうものか意識できないのですよね。私も時々60目負けなどありますが、20目以上取られたら、投了を考えるべきですね。勝つことより負けとは、何かをわからないとダメ。でも多くの人はだめでしょうね。勝っても負けても10目以内を目指しています。何十目差なんてはずかしくないのかな。

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